名勝 瑞楽園
瑞楽園は、昭和54年5月31日(文部省告示第108号)、国の名勝に指定された枯山水庭園で「大石武学流ー行の庭ー」である。
藩政時代に代々高杉組の庄屋をつとめていた豪農對馬家の庭園で、明治23年(1890年)春から38年(1905年)秋まで15年の歳月をかけて、当時津軽地方で庭造りの第一人者であった大石武学流三代高橋亭山により改庭され、さらにその後、昭和3年から11年(1928〜36年)にかけて、亭山の高弟であった池田亭月とその弟子であった外崎亭陽により増庭されたものである。
即ち、瑞楽園の西の部分は、高橋亭山の作庭であり、庭の中央部から東の部分は池田亭月とその弟子であった外崎亭陽により増庭されたものである。
奥座敷の縁先にある沓脱石から大きな飛石を一直線に打ち、その先に巨大な排石を(武学流では「庭中第一の石なり」として大きく姿の良い石を選ぶ)が据えられている。更にその延長上には、「頭位松」と名付けられた斜幹仕立てのクロマツが主木として配植されている。正面奥深くに滝石組を設け、長さ約10メートルの枯流れを造り、さらに、枯滝を一段落として手前に自然石による橋を架けている。これが庭の主景(主軸線)となっている。
石橋の右手に据えられた二基の野夜灯の中間奥5メートル程の位置にも枯滝が設けられ、主軸線の枯流れとV字型に合流して枯池に注がれている。
主軸線から左側には火燈窓だけをきれいに加工した大きな自然石の五重塔が据えられている。
枯池周囲には立石と横石がバランス良く配石され、武学流の定型どおりに庭の左右手前に蹲踞ち客人島の石組を配している。
瑞楽園に於ける飛石は渡るという本来の機能的な打ち方でなく、美観的な役割(飛石の姿形や打ち方において)をもち、視線を庭の主景に誘導しながら、奥行きの奥深さを感じさせる機能を果たしているようである。
庭の西側には、石造と木造の八幡鳥居が据えられ、その奥に祠を祭ってあることを表象している。
また、東側には風雅なつくりの四河があり、その左手奥深く五層塔を配している。この庭は、作庭者が違っても同じ武学流の庭師が増庭したものであれば何ら違和感がないということを示しているとも言える。
現在この庭を廻遊させているが、これは廻庭式庭園ではなく、鑑賞式の庭園であることから、奥坐敷あるいは縁先から鑑賞するのが好ましいと考える。
<参考文献>
新編 弘前市史 通史編5(近・現代2)
平成17年11月18日発行/編集:「新編 弘前市史」編纂委員会
旧對馬家主屋