近隣の武学流庭園

弘前城植物園内武学流庭園

江戸時代の末期、津軽地方の歴史、宗教、風土を背景に起こったと伝えられる、大石武学流。その武学流六代目を継ぐ外崎亭陽が伝統的な地割りと、石組手法をもって築庭したもので、京都風の風流雅味な庭と異なり、石組など稜角線の強い豪壮な庭とされている。

〒036-8356 青森県弘前市下白銀町1
《一般財団法人 弘前市みどりの協会》 TEL:0172-33-8733

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近隣の庭園

弘前城三之丸庭園

弘前城は慶長15年築城に着手し、同16年に一応完成したという。その三之丸は、武家屋敷になっていたが、元禄9年に郭外に移して藩主の別邸を構え、その時に庭園を築造したという。4代城主信政公の時であり、本庭は元禄12年頃には完成していたものと考えられる。

この庭は野本道玄作といわれているが、道玄は元禄6年に当藩に召抱えられたので道玄作と考えられないこともない。

残された地割・石組などを見ると、江戸時代中期以降の様式・手法をとっていることがわかる。

〒036-8356 青森県弘前市下白銀町1
《一般財団法人 弘前市みどりの協会》 TEL:0172-33-8733

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揚亀園

弘前の実業家であった中村三次郎(1859〜1939)の求めに応じて明治時代後期に小幡亭樹が作庭を開始し、後に池田亭月が手を加えたとされる。三次郎は、大正8年(1919)に市内の呉服商から譲り受けた離れ座敷を庭園の東北隅部に茶室として移築し、「揚亀庵」と名付けて庭園を完成させた。

揚亀庵の縁先に立つと、池の水面を前景として、その背後に控える築山の樹間から、弘前城跡の樹叢をはじめ遥か岩木山の秀麗な山容を遠望することができる。縁先の沓脱石からは、池の東岸に据えられた「礼拝石」と呼ぶ大きな景石に向かって飛石が間隔広く打たれ、広々とした水面の中央に浮かぶ中島と、対岸に当たる築山の左右奥部に渓谷を模して設けられた枯流れ及び枯滝石組を望むことができる。池を一周する園路の途上からは、3ヶ所に架けられた木橋のほか、雪見燈籠などの石燈籠、枯流れの奥に設けられた枯滝石組、庭園の主木をなす傘形のクロマツなど、小さな敷地の随所に配置された勝景を楽しむことができる。また、揚亀庵の南側のやや離れた位置には富士山型の手水鉢を備えた「離れ蹲踞」があり、北側には「二神石」と呼ぶ石組を設けるなど、大石武学流庭園に特有の作風が見られる。

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旧菊池氏庭園(弘前明の星幼稚園庭園)

昭和22年(1947)に主屋が全焼した後、昭和29年(1954)に菊池氏から聖母被昇天会に譲渡され、昭和31年(1956)以降は幼稚園の庭園として伝えられてきた。作庭の年代・経緯の詳細は不明であるが、明治時代後期に弘前に薬店を営んだ菊池長之(1879〜1938)の別邸に起源し、昭和初期に活躍した池田亭月の作庭になるものと推定されている。

今は失われた主屋から、池の東南隅付近の岸辺に据えられた大きな「礼拝石」まで飛石が打たれ、現在でもその一部が残されている。池岸はすべて石で護岸され、複雑な形状を成す。礼拝石の前面のやや広い水面には円形の中島を配し、東南の池岸から石橋が架けられている。池の水面は西へ延び、築山の南からさらに西北の方向へと延びている。築山の斜面には、3つの景石を「くの字形」に配置した枯滝石組のほか、その左後方に富士山型をした「遠山石」が据えられており、聖母マリア像も立てられている。

また、築山の東斜面や東北隅部に近い位置には、火袋石に三日月形の窓を彫り抜いた「野夜燈」と呼ぶ石燈籠が据えられている。庭園の背景には、クロマツ・サワラなどの常緑針葉樹が用いられているほか、築山の裾部及び池の周辺にはイトヒバ・ハイマツ・ビャクシンなどが植えられ、風土色を反映した樹種構成となっている。このような景石・石燈籠、植栽などに、大石武学流の流儀が見て取れる。

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成田新一郎氏庭園

当庭園は、庭内北側にある造築記念碑により、昭和7年6月2日成田幸吉氏の代に「大石武学流庭師池田亭月」によって作庭されたことが明らかである。書院前の平庭式枯山水は約70坪ほど。

書院前左手には二神石(二神前)があり、これらは典型的な武学流様式である。また正面に岩木山を遠望する池田亭月作の枯山水庭園中おそらくは、その代表作ではなかろうか。

飛石組の手法・右手前における立石手法など、巨石を使っているにもかかわらず全体としてバランスのよくとれた組み方となっており、桃山時代風な豪華なデザイン、感覚を思いおこす迫力にみなぎっている。武学流庭園の中でも、小庭園ながら迫力においては、本庭が筆頭に上げられる。

 

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藤田記念庭園

当市出身の実業家である藤田謙一が、1919年(大正8年)に郷里である弘前市に別邸を構える際に東京から庭師を招いてつくらせた江戸風な景趣の庭園。園内は、高さ13mの崖地をはさんで高台部と低地部に分かれており、高台部は岩木山を借景した洋風庭園で、低地部は池泉回遊式の日本庭園となっている。総面積は約21,800m²に及び、東北地方でも有数の大規模な庭園である。

園内にある洋館、和館、倉庫等が2003年(平成15年)に国の登録有形文化財となっている。

〒036-8207 青森県弘前市上白銀町8−1

《藤田記念庭園事務所》 TEL:0172-37-5525 FAX:0172-37-5526

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貞昌寺庭園(一文字の庭)

正面に見える水の流れが左手の低い築山に隠れ、再び手前に曲線で姿を見せているが、この線が非常に美しい。正面やや右手の二段落ちの滝は、素朴さが浮かんで景観が引き立ち、庭の中央部には、庭全体の3分の2程の面積の平坦部があり、現在はきれいに芝生が植えられている。庭の右手には、やや高い築山があり、その上に四阿がある。
元禄年間に四代藩主信政に召抱えられた京都の数寄者(すきしゃ)、野本道玄(のもとどうげん)作と伝えられる「一文字の庭」を巧みに修復した縮景式(しゅくけいしき)築山泉水庭園であるが、庭園本来の特色、庭の趣きが充分生かされている。
全国的にも珍しい様式で、津軽の庭園文化の流れを辿るためにも、貴重な庭園である。

〒036-8214 青森県弘前市新寺町108

《貞昌寺》 TEL:0172-32-1082

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<参考文献>
津軽の庭
昭和53年3月1日発行/編集:財団法人 観光資源保護財団
弘前の文化財
平成22年3月発行/編集:弘前教育委員会